
こんにちは!
なつのです!
あなたは目標に向かって進む時に継続できなくなってしまうのはなぜだと思いますか?
僕は前ばかり見て、足元を固め忘れているからだと思うのです。
目標と現実のギャップは継続の敵だから
大抵のことは思い通りになんてならない。
こう思えた時に少しだけ大人になれたような気がした。
なんだか格好をつけているような文面だけれど、これは過去に実感としてあったものなのだ。
自己啓発本とか、YouTubeなどから「まずはできると思い込め!」のようなことが書かれたり、言われたりしているのをよく目にする。
確かに、何かを始める時には一番エネルギーが必要で、自分でもできるのだと自分自身を鼓舞しなければ何も前に進まないような時はある。
僕自身、今こうやって文章を書くことは習慣になっているものの、物書きを始めたのは副業がきっかけだった。
副業を始めた時、本業もそこそこに忙しかったため、やはり自分を鼓舞する必要は少なからずあった。
だから自分を鼓舞することが全くにもって無意味だとは思えないものの、それが行き過ぎるのもどうかと思うのだ。
ここでも重要なのはバランスなのだ。
僕は「できると思い込む」ことと同時にあるものを育てないと大抵の人は挫折すると考えている。
それはギャップに気にしないメンタルである。
思い描いていることと、現実が乖離している時に人は辛くなり継続ができなくなる。
この乖離、つまりポジティブな思い込みだけの現実とのギャップによって日常を辛く感じてしまうのだ。
継続しなければ何事もうまくいかないのは、すでに知っている方も多いだろうから詳しくは言わない。
変にポジティブになり過ぎると動き出しには良くても、継続には厄介な存在になり得るのである。
そこで継続するために重要になるのが、ギャップを気にしないことであり、僕の場合だがギャップを感じにくくさせてくれたのが「大抵のことは思い通りにならない」という考え方だった。
「大抵のことは思い通りにならない」というのは、「できると思い込む」の相反するところにある考えである。
非常に現実的な考えだ。
このような考えは、何かを始める時にはブレーキになってしまうからあまり本などには書かれないことなのだろうが、僕らが生きているのは現実なのだから現実的な考えを持たずに生きられる人は、それほど多くないだろう。
一方で「大抵のことは思い通りにならない」とハードルをぐんと下げておくと、現実と目標のギャップを感じるどころか、目の前に起きた細やかな物事に喜ぶこともできる。
すると日常が結構楽しいものなのだと気がつくことができて、継続の土台が作られる。
足元を固めながら、目標も時々確認するみたいなものだ。
現実を少しずつでも変えたいと思うからこそ、思い描く姿とか継続とかがあるはずだ。
アクセルだけを踏めばいずれ事故を起こすとわかっているのなら、スピードに乗れた実感があれば一旦ブレーキを踏んで足元を見てみると良いだろう。
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