【コラム】距離を取ることの本質


こんにちは!

なつのです!

本日は距離感に関するコラムです!

距離感について

距離を取る。

これは思っている以上に、自分との関係性を冷静に判断する上では、重要な事だと知った。

僕は、あまり人との距離感というものに、敏感な方ではない。

この表現は、ちょっと曖昧なのだけれど、つまり、距離を詰めることにも、距離を離すことにも慣れていないということで、決して誇れるようなことではない。

だから、実際に近くに居たり、遠くに離れてみないと、どう思うのかわからないのである。

考えないということではなくて、考えとか感覚が自分の思考では想像できないのである。

これまでに、何度も距離感が違ったらどうなるのだろうと、考えたことはあるが、考えたところで、いい意味でも、悪い意味でもその通りになったことは少ない。

やはり、僕は距離感について考えるのが、あまりにも苦手なのである。

過去の傾向からすると、距離感については、計算が甘いということがほとんどであり、その度に心が揺さぶられる感覚を覚える。

ここまで、ただ「距離感」と書いてきたけれど、実はこれは人間との距離感だけを言っている訳では無い。

物事についても、どうやら距離感について考えるのが、得意でない。

過去にはまっていた趣味も、やり始めた時の熱はどこかに行ってしまうなんてことも、もちろんあるし、そんな風に一度やめてしまった趣味を懐古して、再開して、その時以上に続いたなんてこともある。

これも、距離感なのだと思うのだ。

では、なぜ物事は変わらないのに、距離感が変わってしまうのだろうか。

とても単純なことだ。

自分から、距離をとっているのだ。

恐らく「距離をとって大切さを確認している」のだろう。

この「距離をとって大切さを確認している」というフレーズは、遠くに旅に出掛ける時に使われるものだが、それと同じなのだ。

日常の大切さとか、尊さを改めて実感するためには、非日常に身を投じるのが、最も手っ取り早い。

だから、日常に疲れたら旅に出掛けることが、ひとつの定番になっているのだ。

本人が、たとえそうは思っていなくとも、無意識で一旦は日常から距離を取っているのだ。

そして、意識的にも無意識的にも、大切さを感じた時点で、距離をとることの本質は達成できているのだ。

「離れる」ことは、苦しい時もあるし、それに悩むことだって、もちろんある。

その後、どうなるかは全く予想できないのだけれど、少なくとも、「距離をとる」ことが、そのまま悪いことではなさそうだ。

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