【コラム】「こだわらない」という選択肢


こんにちは!

なつのです!

本日はこだわりに関するコラムです!

執着しないために

こだわりが執着になっていないか。

こだわりを持つことは別に悪いことではないと思う。

それは芯があるかどうかみたいな考え方に似通ってくると考えられる。

こだわりがあるということは堅い芯が一本あって、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと判断できるようなものだからだ。

しかし一方でこだわりが多すぎると柔軟な対応ができずに生きにくくなる。

「柔よく剛を制す」というように柔軟なことは芯があって堅いことよりもより強い。

結局こだわりはある方が良いのか、無い方が良いのかよくわからなくなりそうだ。

なんとなくわかっているのは全てのものにこだわりを持つのは明らかにやり過ぎだということ。

そういう人とたまに知り合うけれど「大変そうだな」と思ってしまう。

細部までこだわりを持ちながら生活している人はどこかで限界を迎える。

色々とこだわりがあり過ぎて追いきれなくなるのだ。

このような状態になった時、こだわりは執着になる。

こだわりだと思っていたものが、いつの間にか足枷や重石のように体にまとわりつくようになるのだ。

そして身につけているもの、身の回りにあるものが陳腐化していることに気が付く。

流行り廃りでこだわって購入してしまったものなどはこうなりやすいと感じる。

つまり、そんなにいくつもこだわりなんて持てないので執着になっているようなら手放してはどうかということである。

こだわりとは数少ないものだからこそ価値があるはずなのに、こだわり自体の数が多ければ希少でなくなってしまい、最早こだわりとは違う様相になってしまう。

これは紛れもなく執着なのだ。

それこそこだわりを手放さない自分にこだわらないで、手放せる柔らかさを有する自分の良さを感じてみるのはどうだろうか。

執着していても前に進めるけれど、辛く苦しく重い。

身軽で柔らかい方がすんなりと生きていけるように思う。

こだわらない事も選択肢に入れてみるのもいいのかもしれない。

【今日の参考図書】

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