
こんにちは!
なつのです!
今日は「過去」がテーマのコラムです。
思い出に浸りすぎることは執着となんら変わりませんから注意が必要です。
過去に戻りたいか
人肌の恋しい季節などという表現を今年もチラホラと聞くようになった。
要は冬が近づき寒くなって来ただけのことなのだけれど、昔からよく聞く表現で耳馴染みもある。
今年の冬は余程のことがない限りはその多くをひとりで過ごすことになるだろう。
新しいパートナーできたものの、お互いに毎日気軽に会えるような距離に住んでいるわけではなく、いずれ一緒に住めればと思っていてもこういうのはいきなりとはならないものだ。
比較するわけではないが過去の自分は誰かと同じ屋根の下で過ごしていた時間も多かった。
パートナーに限らず、大学生時代に兄弟とルームシェアをしていた時も、食卓を囲んで、話をしていたのは楽しかったしちゃんと思い出せる。
ただ不思議なことにその頃の環境を羨んで「戻りたいな」などとは思わない。
それは今の状態でその頃に戻ったとしてもきっと同じ心境にはならないからである。
僕は決していつもの日常にすぐに飽きてしまう方ではない。
むしろ逆で日常こそが生活であり、尊いものだと感じている。
思い出に浸るようなことも嫌いではないが、最近少しだけ変わったのは浸りすぎぬようにしていることである。
どう頑張っても過去には戻れないし、きっと戻ってもろくなことがない。
往年のタイムスリップものの映画でもアニメでも結論は一緒で、過去でもなく未来でもなく、現在が大切だと伝える。
思い出に浸り過去を羨むように過ごすこともできるが、それは一種の執着だ。
手放すことができなければどんどんと体が重くなり、どこかでしんどくなる。
全ての思い出を手放せなんて全然思わないけど、執着のようになってしまっているような記憶とか思い出はやはり手放す方が賢明だと思うのだ。
手放さずにあれもこれもと手に抱えて歩んでいけば、弱ったようなタイミングで「あの頃は良かった」なんて過去に縋るくたびれたおじさんのようなこと言い出してしまいかねない。
これは流石に寂しすぎる。
過去の栄光ともいうべきものはあってないようなものである。
せいぜいあるのは過去に経験したものが今の自分にどう影響しているかぐらいのことだ。
今の僕なら誰かと住んでいた経験があるから、この先に一緒に生活することになんら抵抗がないとか楽しみ方も十分に知っているということであり、過去のある時点に戻りたいとは毛色が違う。
当初は寂しいだけのひとり暮らしかななんて思いもあったけれど、今年になって学んだことの多さを考えれば、孤独が様々なことを教えてくれたのだと嫌でも感じる。
ふと寂しくなる時だってないこともないけれど、それはひとりでいる時間に限った話では決してないことも十分に経験している。
今はひとりの空間をどう感じるか、そこだけに焦点を当てていこうと思う。
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