
こんにちは!
なつのです!
あなたは自分の嫌な部分とどのように向き合いますか?
僕はそのほとんどを諦めます。
嫌な部分は治すより諦める
新年早々に自分の嫌な部分を見た。
僕は何かネガティブなことがあるとそれに大きく引きづられるところがある。
逆に良い調子の時には、その勢いを活かせているように感じるが、なんというかネガティブな時にはそれが尾を引いてしまうのだ。
ネガティブなことが些細なことであれば、それほど影響しないで過ごせるのは当然だが、昨年の経験のせいかちょっとだけ神経質になってしまっているのかもしれない。
たぶんこれまで以上に、些細なネガティブさにも過剰に反応してやり過ごせなくなっているようだ。
さすがに何もやる気が出ないとか、行動できないとか、昨年のひどい時のようにはならないけれど、後遺症的に落ち込みが続いて変に考え込んでしまう時がある。
僕はこんな自分の部分が嫌いだ。
わかりやすくいうと自分の女々しさが嫌いなのだ。
まさか、年始からこんな思いを抱こうとは想像していなかった。
昨年、自分の嫌いな部分を清算できたつもりでいたけれど、何歩かは前に進めても清算して綺麗さっぱりとは中々いかなかったようだ。
それこそ当然といえば当然かもしれない。
何か事象との関係性は簡単に変えられても(これも結構難しいけれど)、自分の心の中の事象はかなり変えにくい。
特に思い入れのある事象は。
そこにネガティブな要素が現れた時に、心がどう捉えて、うまく頭で考えられるのかはその人の得意不得意が分かれると思っている。
きっと僕はこの部分がかなり不得意なのだ。
嫌だとは思いつつも、この部分は不得意でどうしようもないと諦めている自分もいる。
不得意な点を克服することに時間を費やせば、それだけ余裕が無くなる。
もっともグジグジとネガティブな考えにとらわれて時間がかかれば結果は同じかもしれないが、それはあくまでもこのケースの話である。
自分の嫌な短所は克服したければそうすればいいのだけれど、全部の短所に向き合えばどれだけ時間があっても足りなくなるのは明白だ。
だからせめて諦めるものとそうでないものに分けて考えなければなるまい。
僕はこんな自分の短所に何度も何度も悩まされてきたが、その度に諦めてきたのだ。
今回は昨年の後遺症のせいで少しだけ向き合い方が違うように思うけれど、それでも諦めるという行為には変わらない。
簡単に治るものであれば時間を掛けてもいいかもしれないが、治らないものは諦めるだけだ。
諦めていけばどこかで馴染んで来ることも少なくない。
そういうものだ。
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