
こんにちは!
なつのです!
今日のコラムのテーマは「怒り」です。
不用意に怒ってしまっていませんか?
イライラしがちなあなたに読んでほしいコラムです。
怒りは不快に伝播する
時にイライラする。
表に出していないだけで実は相当にイライラを溜め込んでしまっていることは、もうほとんど誰しもにあることなのだろう。
要は表に出すか出さないかだけの違いなのだが、この違いは非常に大きい。
なぜかといえば、怒りは伝播しやすいからである。
怒りの感情は表に出る限りではかなりわかりやすい。
機嫌が悪いのだと周りが気を遣ったり、仲の良い人だと不用意に共感させてしまったりもする。
特に厄介なのが関係のない正義感の強いだけの人に刺さってしまって、弱者を助ける的な行動に出る時である。
どうしようもなく誰かに縋る時が完全に不要だと言いたい訳ではない。
変に正義感を振り翳して、結局は自分の見栄えばかり気にしているような行動は不要だし、迷惑だと思うのだ。
つまり、怒り任せの正義感なんて必要ないということである。
正義感で助太刀したところで、話はこじれることの方が多いし、そこに存在する怒りもまた簡単に人に伝わり、余計な怒りまで誘発する。
正義感なんていい言葉のようだけれど、あまりにも考えなしで感情任せの正義感は人を混乱させるだけの結果になる。
このような怒りは当然に自分の外側に向かって進むものだ。
自分以外の何者も変化させることはできないにも関わらず、怒りだけが正義感を武器にして外側に向かって行くことになる。
こんな不要な怒りに対して周りの人が反応する時間や、感情の揺らぎも不要だし、決して気持ちのいいものではないのに怒りを発する側はそれに気が付かない。
視野がとてつもなく狭い。
自分が怒りを発することでどんな影響を及ぼすのか全くわかっていないのだ。
しかしながら怒りとは多少なりとも誰しもが付き合って行くことになるのだから、どうすればいいのかということである。
気を付けなければならないのは、たったひとつだけだと僕は考える。
それは怒りを外の誰かに発散しないことである。
それではイライラが溜まる一方だと思われるかもしれないが、僕が言いたいのはそういう事ではない。
愚痴のようなものはいくらでも、信頼できる人に限りこぼせばいい。
だけど、それに正義感を被せて他に共感を求めたり、感情に任せて言葉や態度をぶつけたりすることで、イライラを発散することはいけないということだ。
器用なことに思えるし、すぐにはできないのかもしれないけれど、よくよく思い返してみるとそのように怒りを発散したことで何かうまくいったり、いい経験になったことがあるだろうか。
少なくとも僕は後悔と苦々しい記憶しかない。
感情そのものとの向き合い方だから、瞬間で理性が効かない難しさがあるのは痛いほど良くわかる。
でも、後悔することを繰り返せば余計に辛いものだ。
次にイライラしてしまいそうな時には、ぜひ今日のコラムを思い出してみてほしい。
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