【コラム】今は「百聞は一見にしかず」を再考するとき

こんにちは!

なつのです!

今日は変化した働き方について書いています。

今は「百聞は一見にしかず」を再考するとき

どれだけ優秀だとしても、経験することには敵わないと思っている。

勉強も経験に入れられるほど優秀でもない限りは、僕は経験した方が早いものは多いと思っている。

仕事は特にそうだ。

コロナが蔓延したことで働き方が大きく変わり、現場というものに出る人が少なくなった。

テレワークできるものはそれに移行し、緊急的ではあったが効率化を推し進める形になっているところが多い。

通勤時間がなくなったこと、満員電車や道路事情にイライラせずに済むようになったことなど恩恵を受けている人も多いのだろう。

では、それら全てがよかったのかといえば疑問が残る。

そのひとつが現場を見たこともないのに知ったような気になってしまうことである。

現場では人もものも動く。

そこには無数の経験値や働く者の感情がある。

それが現実の場所、つまり現場なのである。

しかし、このような状態にあっては人が動く現場も、ものが動く現場も、どこか遠くから見るしかできないのに仕事をしなければならないような状態に陥る人も多い。

「百聞は一見にしかず」という言葉は、コロナ禍で変わった世の中にこそ改めて考えるべき言葉なのではないかと思うのだ。

そうなる前からも、随分と頭でっかちな人っているのだなと思っていたのに、それに拍車が掛かったように現場とそうでない場所のすれ違いが生じていると感じる。

ディスコミュニケイトとでもいう状態だ。

そんななんとなくの仕事しようとも給料にはなるから、何も考えずにのほほんと生きられればそれでも良いのかもしれないけれど、会社側からしたらどうだろう。

きっとこのままいけば、今まで以上に現場を経験した者とそうでない者の格差は開くだろう。

この格差とは給料の格差というよりも、生存率の格差である。

特にまだまだ何十年と働く世代には、これが強く当てはまる。

会社員だろうが、フリーランスだろうが、のほほんと生きられる程の境遇にいる人は希少だということを肝に銘じたいところだ。

人生なんとかはなるけど、なんとかしようとしないとどこかで痛い目にあうだろう。

恐怖感と共に生きるのではなく、希望と共に生きるためにはそれなりの信念も行動も少なからず誰にも必要なのだ。

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