【コラム】悲観はきっかけで十分

こんにちは!

なつのです!

あなたは未来を悲観しますか?

悲観にはどんな価値があるのでしょうか?

悲観はきっかけで十分

未来を悲観する時がある。

お金の問題、自分自身がこのままでいいのかなどなど。

人それぞれだとは思うが、未来にワクワクすることよりも、未来を悲観する方が割合として多いのではないかと感じる。

だからこそ、世の中のネガティブな意見の方が多く取り上げられ、世の中の総意のように扱われるのだ。

なんならポジティブでいることが危うさをはらむ時も少なくない。

例えば、仕事している時に楽しそうにやっているだけで同僚から目をつけられ、変にやっかみを受けることもある。

恐らく当人としては本当に楽しい気持ちで仕事をできているとか、前向きになれるだけの日常生活を送れているのだけなのである。

厄介なのは周りが不要にネガティブを押し付けようという変な協調性である。

未来を考えることも一緒なのだと思う。

僕は自分の行動を見ていると、どちらかと言えば未来をワクワクするよりも悲観することの方が多いように思う。

複業・節約・貯蓄・資産運用を全て行なっているわけだが、これらのきっかけは全て未来を悲観したところにあった。

今こうやって文章を書いているのは、元々会社員だけの給料では将来が危ういと感じたところから始まった。

節約は個人で働くようになった時に、稼げても生活だけで精一杯ではどうしようもないと将来を悲観して始めたことだ。

貯蓄・資産運用も結局は今のように働けなくなっても食っていけるようにしたいという思いがあるから、これもきっかけはワクワクではなく悲観だ。

何かを始める時、僕は悲観している状態がきっかけになっていることが多く、なんとかそれを乗り越えたいという気持ちが強いのだ。

では、ずっと未来を悲観しているのかと言えば案外そうでもない。

先ほどいくつか例をあげたものも、きっかけは悲観でも今となってはワクワク感が勝ち越しているように思える。

もうすぐで5年続けている事になる個人の仕事も、最初の方にはなかった活動の広がりを感じていて、最近はやりたい仕事もできるようになってきた。

節約は既に楽しみの根本になっており、節約できたお金で誰かとの時間を存分に楽しめたり、貯蓄・資産運用に回すことで備えとしてのお金だけでなく、日常を豊かにしてくれるお金を生み出してくれている。

悲観することで始めたもののお陰で、未来にワクワクを感じることができるようになったのである。

だから、悲観することそのものはそれほど悪いものではないと感じる。

大切なのは悲観を誰かに押し付けないことと、悲観はきっかけとして使って、始めたものを楽観できるまで継続することだ。

未来なんてどうせ考えてもわからないことの方が多いし、偉そうなことを言っている人の予想だって当たらなかったことの方が多い。

悲観の後に「なんとかなるさ」と思えた方がトータルで楽なはずだ。

きっと、そのぐらいでいいのだ。

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