【コラム】平凡な1日と大きな目標

こんにちは!

なつのです!

本日は「積み重ね」に関するコラムです!

平凡な1日を積み重ねる

平凡な1日1日を過ごしているように感じる。

朝起きて自分の仕事をやって、会社に行き、夕方になれば家に戻って自分のやりたいことをやり、就寝する。

もちろん休みはあるけれど、週5日はこの生活なのだからスタンダードはこっちである。

仮に会社の方を本業として物書きを副業とするのならば、僕は副業もしていることになるが個人の時代があったせいか、今の生活は至って世の中で言うところの普通の生活になっているように思う。

特別なものはそれほどない。

こんなふうに書くといかにも生活することが嫌になってしまっているように感じるかもしれないが、逆なのである。

僕はこの平凡な生活にこそ価値があるのだと思える。

個人でせっせと仕事していた時、時間の自由と仕事の自由を味わった僕だったが一方では生活できるのか不安になる時が無かったわけではない。

元々副業として続けていた期間もあったから個人にシフトしても全く稼げない期間は無かったけれど、何かに追われる感覚もあった。

「稼がなければならない」

焦燥感に近い感覚である。

そんな焦りがあったからこそある程度はうまくいったのかもしれないけれど、今のようにのんびりとした生活とはかけ離れていた。

休みがないのは当然だったし、休日だったとしても心がここにないなんてこともあった。

それだけ仕事に夢中になっていたと言えば聞こえは良いが体と心には優しいものでは無かった。

個人で生計を立てられるようになってからは自分のペースを段々と選べるようになっていったが、過去に味わった焦燥感は忘れることはできない。

会社員に戻ってからも物書きの仕事は継続している。

よく「副業されているのすごいですね」とか「毎日続けるコツを教えてください」などの嬉しいお声をいただく。

本当にありがとうございます。

そんなお声に返事するには時に美辞麗句を並べてしまうこともあるが、物書きを続ける根本にはサラリーマンの働き方がどうしても嫌になってしまってそこから抜け出すために自由に稼げる方法を身につけたいという考えがあったのは間違いない。

一度は念願だったサラリーマン生活を抜け出したものの、結局今はサラリーマンと物書きの複業状態に戻っている。

サラリーマンだけでなく、個人だけでなく、両方を暮らすことが心地良いと気がついたのだ。

それでも「40歳までにセミリタイアを選択できるようにする」という目標を変えるつもりはない。

今までの経験で大切だったのは選択肢を増やすことだったからだ。

選択肢が多ければ同時に自由度が多くなる。

大きな目標ではあるけれど、40歳という遠すぎないひとつの区切りがあるから平凡な1日も程よく頑張れる。

平凡な日常を気分良く過ごすなんてそんなものだ。

のんびり一歩ずつ選択肢の増やす下準備をしている感覚をわかってもらえるだろうか。

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