【コラム】発信し続けると案外刺さる

こんにちは!

なつのです!

今日は発信することについて考えました!

少し刺されば十分

少しでも刺さる部分があれば良い。

僕はこうやって言葉を書き、発信することがひとつの仕事であり、段々とライフワークのようにもなってきている状態だ。

物書きになったのはかつて副業として教わったブログがきっかけだったけれど、何年という単位で続けることになろうとはあの時は思っていなかっただろう。

そんな何気ないきっかけで始めたものであっても、やはり最初に学んだことは忘れないもので、今でもずっと意識していることがある。

それが何か少しでも刺さればということである。

ブログだろうとなんだろうと何かを発信する場合は、誰かのどこかに刺さることを想定して発信する。

誰かのためになると言い換えることができるかもしれない。

もちろん最初にブログを教えてくれた人は刺さるという言葉ではなくもっと具体的な言葉で教えてくれたけれど、シンプルに捉えるならやはり刺さるという表現になると思っている。

たとえ誰のためでもなく自分のためだけに書いているという人でも、発信している時点で誰かに刺さることをどこかで意識しているものである。

より多くの人に刺さるものだったり、書いた人自体がとても有名だったりすれば、世に広まりさらに多くの人へと刺さり続けるものとなる。

至ってシンプルである。

しかしシンプルであるからこそ、意識的に刺すのにはテクニック必要であり先行者優位などと言われるようになる。

そして瞬く間に陳腐なものになっていく。

だから多少のバズりはすぐに忘れられてしまうのがオチである。

これだけ発信者が多くなった時代であるからそこは致し方ないことだ。

では発信の価値が下がったのかといえばそんなことはなく、むしろ発信することの意味は年々増していると感じる。

誰もが広く情報に触れることができるようになったからこそ、それだけ発信の数は多くても問題ないのだ。

選択しなければ生死に関わるような情報が多すぎるのは問題だけれど、考え方とかライフスタイルなんていくら発信されても十人十色でどれも参考にはできても完全な再現は不可能だ。

だから少しでも刺さることを意識するのだ。

全部が刺さらなくとも、「こんな考え方もあるんだ」と感覚的に思ってもらえれば良いのだ。

そのぐらいハードルが低くても良いと思える。

自分の生活や思いとか考えとかを発信するのには、これまでの経験が存分に反映されている。

特にこのブログではなんの縛りもなく好きなことを書いているので、この考えが色濃く現れているように感じる。

こんな独り言みたいなものでさえ発信すればどこかには刺さることもあるもんだ。

毎日書き発信するのにはそんな狙っていない楽しさもある。

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