
こんにちは!
なつのです!
あなたは「愚痴」をどう捉えていますか?
あまり良い印象を持つ人はいないでしょうが、「愚痴」をこぼせる環境は案外大切なんです。
愚痴をこぼせる環境に感謝
愚痴をこぼす時がある。
仕事で嫌な思いをした時、家庭で不満が出た時などなど。
愚痴は何か言ってはいけないような後ろめたさがある。
それは恐らく子供の頃に「人の悪口を言ってはいけない」などと教育されているからだ。
確かに悪口や陰口を言われて気持ちのいい人などいない。
できればそれらを耳に入れずに暮らしたいものである。
ただ、いざ自分のことを振り返ってみると人の悪口を全く言っていないかというと決してそんなことはない。
大抵、誰かに愚痴をこぼす時にその人が抱く印象は、「この人は別のところで自分の愚痴をこぼしているのかもしれない」なんてネガティブなものになる。
このような正論じみた考えを持ち出したところで愚痴がなくなるとは到底思えない。
なぜか。
恐らく、愚痴を言える環境はどこかに必要なのだ。
気の置けない関係の人に愚痴をこぼして受け取ってもらうことで、自分の中でモヤモヤしているものを和らげることができる。
これは誰しもが感覚的にわかっているだろう。
ここで注意しなければいけないのは、誰かれ構わずに愚痴をこぼしては先程のような誤解を招くということだ。
あくまでも「気の置けない人」にだけこっそりと愚痴を聞いてもらうのだ。
だからもし職場での愚痴を誰かに聞いてもらいたいとなれば、気の置けない誰かが必要になるということだ。
職場と愚痴の関係性について、僕はどうしても忘れられない言葉がある。
それは「いい職場とはなんですか?」という問われた、糸井重里さんの答えである。
答えは「愚痴をこぼせる仲間がいる職場かな」というものだった。
風通しが良いとか、アットホームな環境などとは違い絶妙に具体的だし、非常に納得できる考えだった。
安心して愚痴をこぼせるということ、そのものが既に人間関係の構築ができていることの証明のようなものなのだ。
人によっては自分は愚痴を聞く方だと思うかもしれないが、それは少なからずあなたが信用されている証拠でもある。
愚痴を聞くことで相手のガス抜きとか環境に好影響を与えられたと思えれば、愚痴は悪い側面ばかりではない。
我慢してパンクする前に、愚痴を聞いてもらえる相手がいればそのまま受け止めてもらって、その相手と環境に感謝しよう。
これがオススメの愚痴との関わり方である。
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