【コラム】ダウンサイジングには時間がかかる


こんにちは!

なつのです!

本日は生活のダウンサイジングに関するコラムです!

すぐにダウンサイジングは難しい

ダウンサイジングが進んでいる。

僕の生活の話である。

僕はミニマリストではないものの、その考えには賛同するところが多く、物はより少なくてもなんら不便しないでむしろ快適に暮らせると考えている。

ミニマリストの存在を知ってからは生活がかなりシンプルでかつサイズ感が小さくなって来たなと感じる。

生活のサイズ感とは何かというと、部屋の大きさなどもあるが、持つものの最適化などもこれに挙げられる。

必要でないものは積極的に手離すし、必要なものも自分の生活によりフィットしたものを選ぶようになって、見栄で自分に必要のない過分なものが身の周りになくなってきたということである。

過去の自分と比較すると、これらの動きはダウンサイジングだと言えるだろう。

それは過去の生き方が自分を大きく見せるためのものばかりを集めていた人生だった証明でもある。

今思えば恥ずかしくもあるが、実はその当時から違和感のようなものを感じていたのは事実だった。

何をしていても満たされない感覚や、買いたいと思って購入したものも買う時が一番のピークで後は冷めてしまうということが何度もあった。

どうしてこんなことが起こってしまったのだろうか。

それは周りを気にするかどうかの価値観の問題だ。

「自分はこんなものも買える人間だ」とか「こんな豪華な暮らしをしているぞ、すごいだろ」などと周りに思ってもらうために、いわば見た目ばかりを気にしてものを選び、生活が自分の本当の価値観を越えてどんどんと膨張してしまっているのだ。

もちろん贅沢が悪いと言いたいわけではないけれど、自分の価値観を無視して見た目ばかりを優先したところでかなりの有名人でもない限りは多くの人はあなたの生活を気にしていない。

人の見た目はある程度大切だとは思うけれど、生活まで誇張して見せなくてはいけないような状態がどれだけストレスフルでかつお金もかかるのか考えてみてほしい。

生活を誇張したいのはメディアを通して得た価値観だったり、周りの人間の価値観だったりすることが多分にある。

他人の価値観はどこかであなたに欠乏感を与えることになる。

他人はあくまでも他人であり、自分は大切な自分だからだ。

だからダウンサイジングのインパクトは大きいのである。

しかしそこには問題もある。

それは今の自分の生活を誇張しているなと感じたとしても、急にダウンサイジングできないところが厄介な一面があるのだ。

ものを捨てることはできるが、急激に価値観は変化しないのである。

僕の体感としては、急に価値観が変わったように思えてもそれは一時的なものであり揺り戻しが何度も起こるのだ。

つまり、どれだけ変化させようとしても元に戻ろうとする力が何度と無く働くのである。

この解決には時間をかけることしかない。

何度も何度も新しい価値観に馴染んでいき、それが心地の良いスタンダードになるまで繰り返すのだ。

せっかちな人には少々の難しさがあるのかもしれないが、かなりせっかちだった僕が変われたのだから不可能ではない。

自分にぴったりの服を探すように自分に心地良いサイズ感の生活を改めて考えてみるのはいかがだろうか。

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