
こんにちは!
なつのです!
本日はお酒に関するコラムです!
おいしいお酒はどうすれば飲めるのか
惰性で続けていることに、果たしてどれだけの意味があるのだろうか。
僕は、ここ数年間、特に個人での仕事を始めたあたりから、お酒を飲む量が少なくなった。
正確には、量ではなく、回数が少なくなったのだ。
それまでは、苦悩を忘れるには、お酒しかないと言わんばかりに、毎日のようにお酒を飲み、酔っては眠りにつき、また嫌な気持ちで会社に向かう生活を送っていた。
誰かと飲むこともあったし、ひとりで晩酌することもあった。
とにかく、毎日のようにお酒を飲んでいた。
毎日お酒の飲むことは、習慣というよりも、惰性だったように感じている。
惰性で続けていることも、習慣と言えなくもないのだが、習慣はどこかプラスの印象なのに対し、惰性はやはりマイナスの印象である。
では、どこに習慣と惰性の境目があるのだろうか。
とても抽象的だけれど、すごく簡単な答えがある。
それは、やりたくてやっているかどうかである。
先程の、お酒を毎日飲むことに例えてみよう。
毎日、お酒を飲むことや、酔っ払うことが「楽しい!」「やりたい!」と思ってやっているのなら、習慣と言っても良いのではないかと思う。
しかし、なんとなく毎日お酒を飲んでいるとか、ついついお酒に手が伸びているみたいな状態だと、過去の僕のように惰性だと言えると思う。
もちろん、なんとなく続けていることが全て悪いとは、全く思わないのだが、大概の惰性で続けていることには、大した感情がないので、今日それをやめてしまっても、1ヶ月もすれば喪失感も何もないのだ。
時間も無限ではないのだから、惰性で何かを続けているなぁと気がついた時点で、それを手放す考えを持った方が、今後のためでもある。
もう一度、僕のお酒の話に戻したい。
僕は、惰性でお酒を飲んでいる時に、突然ある事実に気が付いたのである。
それは、何かつまらない感情と共にお酒を飲む時と、誰かと一緒にお酒を飲むだけで、ただただ楽しいという時を比較すると、圧倒的に楽しい時に飲んだお酒の方がおいしいし、記憶にも残るということだった。
僕は家でも、店でもほとんどハイボールしか飲まないから、ものが違っておいしかったという訳ではなかった。
この事実に気がついてから、無性にひとりでつまらなく飲むお酒が、無駄を通り越して、もはや害になっているかもしれないと思えたのだ。
そこから僕は、楽しい時以外はお酒は飲まないと決めたのだった。
惰性でお酒を続けていたら、決してそうは思えなかっただろう。
もし、あなたが何かの惰性の中で暮らしているのなら、一度それを手放してみて欲しい。
どうしても必要なら、また戻せば良いだけだし、手放して新しい世界を知って、そちらの居心地が良ければ、そちらに席を移せば良いのだ。
僕は、この後、楽しくお酒を飲もうと思っている。
☆ーなつのの活動ー☆
◎のんびりと質問募集中です!
ノージャンルかつ、匿名・ペンネーム可能で質問ができます!
日頃のモヤモヤをここで解消しませんか?
お待ちしています!
↓↓↓こちらから質問する↓↓↓
◎noteのコラム・エッセイ集はこちらからどうぞ!