【コラム】ぼうっとする時間が貴重になりつつある

こんにちは!

なつのです!

あなたは生活の中でぼうっとするだけの時間を持っていますか?

改めて感じたことをコラムとして書きました。

ぼうっとする時間はありますか?

昨日、久々に都内に出掛けた。

人と会ってお話しする予定だったのだが、コロナが蔓延してからはそんな些細なことでさえできていなかったのだと感じた1日になった。

午前中から出掛けたものの外は雨。

いつもなら「外出なのに雨か」などとなりそうなものだけれど、久々という喜びのためか外出時の雨でさえ移動中の車窓を彩る要素に思えるぐらいだった。

駅のホームで乗り換えを待つ時間さえも静かに降る雨はどこか幻想的にも思えた。

今回は都内に出かけているということもあり、車の有無に関わらず電車を利用しているが、久々の電車のあの空間というのも余計に雰囲気があった。

僕は電車の中ではパソコンなどを開くタイプではないので本を読んでいる以外の時間はラジオを聞いていてぼうっと外の景色を眺めている。

退屈に思える移動時間だが、僕はこの時間が好きなのだ。

よくよく考えると強制的にぼうっとする時間はどれだけあるのだろうか。

最近は家にいる時でも頭を動かしてしまっていることの方が多い。

ゆったりまったりしているつもりでも何も考えないで過ごすということは、思い返してもかなり限られた時間であるのだ。

ぜひあなたも自分の生活を思い返してみてほしい。

完全にぼうっと過ごす時間がどれだけ生活の中にあっただろうか。

何もやらないでいるつもりでも、ふとスマホやパソコンを開いてしまったり、YouTubeやテレビをとにかく流しては無意識に頭を使ってしまってはいないだろうか。

だから家の中でもぼうっと過ごすというのは実は難しいことになりつつあるのだ。

僕もやはりそうである。

家にいればスマホをいじる時もあるし、時間を見つけてはパソコンに向かっているような時もある。

電車の中ではこれを強制的に排除することができるので、ぼうっと過ごすことができる。

もちろんスマホを開くことは可能だけれど、スマホを手に持ったままにするのが嫌な僕はポケットにしまったままで着座して外を眺め始める。

ぼうっとできる時間の完成だ。

目的地に着くまでの短い時間ではあるけれど、先述したように現在の日常では瞑想でもしていない限りぼうっと何も考えない時間というのはそれほど存在しないから貴重な時間であることには違いない。

個人的には電車よりも学生の時などに多用した高速バスが一番良い空間なのだけれど、それについてはまた別の機会に語りたいなと思う。

そもそも電車もバスもできることは限られていることは限られているのだから、少しの諦めと共にぼうっと車窓からの景色を眺めてみるのもいいのかもしれない。

案外そういう時間が日々の癒しになるものだ。

もしこれを電車の中で読んでいるのなら、一旦スマホをポケットや鞄にしまってそとの景色を眺めて見てほしい。

退屈な時間をぼうっと過ごせることは贅沢なのではなく、その過ごし方を忘れているだけなのだ。

ぜひ試して見てほしい。

☆ーなつのの活動ー☆

のんびりと質問募集中です!

ノージャンルかつ、匿名・ペンネーム可能で質問ができます!

日頃のモヤモヤをここで解消しませんか?

↓↓↓こちらから質問する↓↓↓

◎noteの過去コラム・エッセイはこちらからどうぞ!