
こんにちは!
なつのです!
今日は責任感について書いています。
責任を取るという生存戦略
他責にすることは本当に楽なことなのだろうか。
仕事をしていると、自分の責任ではなく他人の責任にしたがる人を多く見かける。
特に一般的な会社員であれば、時間給で働いている訳だからそこに責任なんてものは発生しない方が楽に同じ給料を稼げると考える。
ただ、僕はここに疑問がある。
責任を取らないということは、ずっと責任を取れないということである。
仕事は大なり小なり責任が伴うもので、責任が大きいほど給料が高いということが通例だ。
仕事ができるできないに関わらず、一応の給料が高いのは責任が伴う管理職だ。
つまり責任を取るか取らないかで、お給料も重要なポストも大きく変化する。
終身雇用でのんびりしていた時代ならいざ知らず、今はそんな悠長なことを考えていれば、個人レベルでも簡単に淘汰される世の中だ。
まぁ、もっと広い目で見れば例え一部の環境から淘汰されたとしても、別の環境で生きていくことは十分に可能だ。
しかしながら家族がいたり、自分自身の今後をいかに安定させるかなどのことを欲するのなら、なぜわざわざ淘汰されそうな道を選ぶのだろうか。
ここが疑問なのである。
一方でなんとなく答えのような考えもある。
要は今までが大丈夫だったから、これからもきっと大丈夫だと考えているのだろう。
どちらかといえば楽天的な僕もそう考えていた時期もある。
しかし個人で働いたことで、仕事を得て、仕事をするということがどういうことなのかを深く学んだのだ。
なんとなく過ごしているだけでは、仕事は無くなり、ひとりで最低限の生活はできてもそれ以上の生活は望めなくなる。
そんな人生を受け入れることができない限りは、やはり愚直に仕事を得て、それらを懸命に取り組む他ないのである。
どんな環境であっても、そこから必要とされるだけの存在になればそれなりに生きていける。
必要とされなくなれば、それまでなのである。
責任を逃れようとする人を必要とする人などいないのだと認識できれば、それだけで十分働く理由になる。
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